柿の木日記・
アウトリーチプログラム
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2012年3月6日(火)
【おしえて!Mr.バッハッハ】~スタインウェイ・アンド・サンズ~
世界中のピアニストや作曲家に愛されてきたグランドピアノ「Steinway&Sons」の誕生秘話。
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(よしのちゃん):ねえ、Mr.バッハッハ。 めぐろパーシモンホールの≪楽器のひみつVIII≫ コンサートの 第3回目は「ニューヨーク生まれのスタインウェイ」だって。
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(Mr.バッハッハ):よしのちゃんは、スタインウェイって知っているかな?
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グランドピアノに文字が書いてあるのを見たことがあるわ!
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そう。スタインウェイは、世界最高の技術を持ったピアノメーカーであり、 昔も今も世界最高のピアニストに愛されているんだ。
スタインウェイには、ニューヨーク(米国)製とハンブルグ(ドイツ製)があって 今回の≪楽器のひみつ≫では、その違いにスポットを当てるんだ。
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おもしろそう!どういう風に違うのかな?
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そうだね。例えば、使っている木材によって、響く音色が異なるんだよ。
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へえ~、楽しみだなあ。
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では、コンサートを聴く前に、今日はスタインウェイの誕生物語について話そう。
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わ~、やったあ!
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(wikipediaより引用)
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「スタインウェイ・アンド・サンズ」の創始者、
ハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーグは、1797年ドイツの田舎町ヴォルフスハーゲンに生まれた。
当時、父親は森林整備の仕事をしていたが、ハインリヒは父親の職業を継ぐより、 家具職人になりたいと思っていた。 しかし、時はナポレオン戦争の真っ只中。 15歳でハインリヒは、戦争と火事のために7人の兄弟と両親をすべて失い 孤児となる。そして自らもまた軍人となって戦地へ赴くんだ。
21歳で軍隊を退役した彼は、木工職人の見習いとなった。 楽器との出会いは、ある街で教会のオルガンを製作したときだった。
もともと真面目で音楽の才能もあったハインリヒは、オルガン演奏を学び、 自分でも教会のオルガンを演奏するまでになった。
その後、熱心にピアノ制作に取り組んだ結果、彼はピアノ工房を持ち またプライベートでは5人の息子と2人の娘に恵まれる。
彼のピアノは非常に評判がよく、ドイツ内では最高級品の扱いとなり、 当時およそ500台のピアノが世に送り出された。
当時、父親は森林整備の仕事をしていたが、ハインリヒは父親の職業を継ぐより、 家具職人になりたいと思っていた。 しかし、時はナポレオン戦争の真っ只中。 15歳でハインリヒは、戦争と火事のために7人の兄弟と両親をすべて失い 孤児となる。そして自らもまた軍人となって戦地へ赴くんだ。
21歳で軍隊を退役した彼は、木工職人の見習いとなった。 楽器との出会いは、ある街で教会のオルガンを製作したときだった。
もともと真面目で音楽の才能もあったハインリヒは、オルガン演奏を学び、 自分でも教会のオルガンを演奏するまでになった。
その後、熱心にピアノ制作に取り組んだ結果、彼はピアノ工房を持ち またプライベートでは5人の息子と2人の娘に恵まれる。
彼のピアノは非常に評判がよく、ドイツ内では最高級品の扱いとなり、 当時およそ500台のピアノが世に送り出された。
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順風満帆だったのね!
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いや、そういうわけじゃないんだ。
当時のドイツは政情が非常に不安定だった。
相次ぐ革命がドイツ国内を混乱に陥れ、人々は音楽を聴く余裕などなかった。
十分な成功を収めていたスタインウェイ一家だったが、息子の説得で新天地アメリカへ 移住したんだ。
アメリカ風にヘンリーと名前を改めたハインリヒだが、最初は英語の読み書きも 話もできなかったので、ピアノメーカーに就職し、持ち前の木材の知識を生かし 響板制作の部門で働くことになった。
そしてついに1853年、家族と共にスタインウェイ&サンズを立ち上げたんだ。
ヘンリーは、アメリカ中から木材を選定し、製作者の息子たちには厳しく指導した。 この厳格さが、スタインウェイ社の”世界一の礎”となったんだよ。
また、スタインウェイ一族は、それぞれが得意な分野で活躍をしたんだ。
ピアノの内部構造に新しい技術を加えた者もいれば、経営や広告の分野で才を発揮し スタインウェイホールを建設、有名ピアニストを出演させるなど新しい企画を次々と 打ち出す者もいた。 スタインウェイ社はヨーロッパに進出し、アメリカではスタインウェイの町をつくったんだよ。
十分な成功を収めていたスタインウェイ一家だったが、息子の説得で新天地アメリカへ 移住したんだ。
アメリカ風にヘンリーと名前を改めたハインリヒだが、最初は英語の読み書きも 話もできなかったので、ピアノメーカーに就職し、持ち前の木材の知識を生かし 響板制作の部門で働くことになった。
そしてついに1853年、家族と共にスタインウェイ&サンズを立ち上げたんだ。
ヘンリーは、アメリカ中から木材を選定し、製作者の息子たちには厳しく指導した。 この厳格さが、スタインウェイ社の”世界一の礎”となったんだよ。
また、スタインウェイ一族は、それぞれが得意な分野で活躍をしたんだ。
ピアノの内部構造に新しい技術を加えた者もいれば、経営や広告の分野で才を発揮し スタインウェイホールを建設、有名ピアニストを出演させるなど新しい企画を次々と 打ち出す者もいた。 スタインウェイ社はヨーロッパに進出し、アメリカではスタインウェイの町をつくったんだよ。
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「&サンズ」は“創業者の息子たちの会社”という意味がよくわかったわ!
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そうだね。こうして、スタインウェイ社は、ヘンリーの完全で厳しい教えを守り続け、 「雷鳴からナイチンゲールの歌声」までと絶賛される栄光をつかんだんだ。
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いつも目にしているピアノだけど、こんな誕生物語があったなんて、知らなかったな! Mr.バッハッハ。また色々なことを教えてね。
楽器のひみつVIII 【第3回】ニューヨーク生まれのスタインウェイ
日にち:平成24年3月10日(土) 場所:めぐろパーシモンホール小ホール 時間:14:30(開場) 15:00(開演) 料金:全指定席:1回券 3,000円詳細は以下のページをご覧ください。 http://www.persimmon.or.jp/performance/hosting/20110831083900.html
事業課 余村