柿の木日記・
アウトリーチプログラム

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2022年1月13日(木)

三浦謙司さんインタビュー【後編】

ピアニスト 三浦謙司さんへのロング・インタビュー後編です。

前編はこちら

ふたたび、ピアノの道へ

■ベルリンに戻ってからは?

入試はおそらくギリギリで合格してピアノの道に戻れることにはなったのですが、もちろんブランクは取り戻せてはいなかったですね。止める前に比べたら全然弾けなかったし。人間的に成長したのは自分でもわかりましたが、それをピアノで表せなかったら全く意味がない。
ブランクを取り戻せたなと思えたのは2016年ぐらいだと思います。戻ってからもバイトを掛け持ちしていて、その合間をみながら練習をしていたので、やはり結構きつかったです。

■その頃に受けた浜松国際ピアノコンクールでは奨励賞を受賞されていますね。

2015年の浜松国際ピアノコンクールが自分にとって初めての国際ピアノコンクールです。
何から何まで初めての経験でした。いくら自分の努力を信じてはいても、コンクールという他人と比較され、芸術を比較されるという初めて経験する特殊な状況では、結果はこのぐらいだろう、などといった予想は全くできていませんでした。でも、評価していただけたことはうれしかったです。

■そして2019年にはロン=ティボー=クレスパン国際音楽コンクールで優勝されました。

コンクールというものは、最初はいい意味でただ単にいい音楽(家)を見つけようという意図があって作られたのだと思うのですが、今は数が増えて世界中にコンクールができ、年間何十人もそういったコンクールで優勝した人が出ていますね。その中である程度コンクールのスタンダードができてしまっているように思います。このコンクールではこういうものが求めてられている、プログラミングも大きいコンクールでは似通ってきている面もあると思います。最初はバッハ、何かエチュードがあって、古典派、ロマン派、20世紀の作品、そして協奏曲・・・という。そういうコンクールで選ばれるのはこういうアプローチの仕方だ、というものができているような中で、ロン=ティボー=クレスパンは少し異なる考え方をしてるのかなと思いました。特に課題曲のプログラミングが面白かった。いかにもスター的な音楽家を寄せ付けない作り方をしてると言うのが感じ取れたんです。他のコンクールで聞くような大きいロマン派のソナタで勝負みたいなことをやりにくくさせるような、本当に考えたんだなっていうのが感じられて、このコンクールだったら自分みたいな人が受けてもいいかもと思えました。派手ではないし、めちゃくちゃテクニックが見せられるわけでもない、内面的だしスター的なクオリティはないけれど、でも(このコンクールだったら)いいかなと思ったんですね。

■そう感じたコンクールで最大の評価を受けられたのは、うれしかったのではないでしょうか?

嬉しかったですね、素直に。自分が歩んできた道は間違ってなかったのかなって思えたというか。
ただ、いくらコンクールで良い結果を残して評価されたとしても、結局音楽は主観的なものじゃないですか。例えば有名な方に「良い」と言われたとしても必ずしもそれが白黒はっきりと良いわけでもないし、優勝したから本当に一番うまかったのかと言うとそうとは答えられないじゃないですか。良い結果だったとしても自分で納得できなければ良かったと思えないタイプではありますが、嬉しかったことは確かです。でも、優勝してからも結構・・・悩みました。

ピアニストになるといってもどこからプロというのか。ストリートで弾いてお金が入ったらプロと言うのか、コンサートを年間何回行ったらプロなのか。コンクールで優勝したからプロかといえば、そうとも言えない。それなのに多くの人が大きなコンクールで優勝すればピアニストになれるようなイメージを持っているのではないでしょうか。でも、ゴールにコンクールで優勝するということ事しか見据えず、その先は具体的にどうしたいのか、自分もちろん含めてあまり考えられてはいないように感じます。

「ピアニストになりたい」という夢があっても、それはすごく抽象的で、では具体的に何を欲しているのか、それまで考えた事はありませんでした。コンサートだけで食べていけるピアニストの枠というものは、すごく少ない。だから自分がそこにたどり着くという目標だけで精一杯で、本当にその意味を考えてなかったのだと思います。

コンクールの優勝直後、新型コロナウイルスのパンデミックで止まった活動

今回コンクールで優勝した時に、周りからはこれで有名になったね、キャリアができるねと言われましたが、「ちょっと待って。コンクールで優勝したからといって自分は何も変わってないし、ピアノが上手くなったわけでもないし。これからどうして行けばいいんだろう。」ってすごく悩んですごく考えていました。まさにそういう時に新型コロナウイルスのパンデミックとなり、大量のオファーがキャンセルとなりました。そのまま何事もなく全てのコンサートをやっていたとしたら、忙しすぎてこのような考えと向き合う時間はなかったと思います。だから逆に僕にとってはタイミングが良かったんだと思うんです。周りからは、せっかく国際コンクールで優勝したのに記念コンサートが全部キャンセルになっちゃってアンラッキーだったねと言われるのですが、今になって考えるとこの一年半はものすごく貴重な時間になったと思います。ブレーキをかけられたというか言うか自分がちゃんと一歩ずつ成長できというか。うまく歩けないのに駆け足で行ってしまったらしっかりとキャリアを築けないだろうし。僕はこれで良かったのだと思います。

音楽家は作品の器。より良い器になるために人間的に成長したい。

■今後のヴィジョンについて、お話いただけますか?

演奏会の数をより多くこなすことは、必ずしも良いことではないと思います。年間何十回も、毎回きちんと音楽に向き合って自分の100%をぶつけられてるかと言うと、必ずしもそうではないと思います。音楽を100%リスペクトできない状態を作らないためにも、演奏会の数をある程度コントロールすることも今自分にできることかなと思っています。
レパートリーについては、自分はこうだと決めつけたくないとも思います。人間は毎日、1分ごとにも進化しているし二度と同じ自分ではないから。ある程度不向き向きはあるとしても、様々な作品に取り組んでいきたいです。

ピアニストというか音楽家というものは、他の人たちが書いた作品に命を吹き込む存在なのだと思います。言い換えれば器になるとも言えます。自分が器になって作品に込められた感情を伝えるということは、より人間の複雑な感情を理解していなければいけない。なので、自分はピアノを弾く人間、音楽をやる人間以前に、誰よりも人間というものを愛し、人生を愛して色々な経験をして・・・色々な作品に値するような器になれるように、人間として成長していきたいと思います。そうすれば音楽も必然的に成長するはずです。

ピアニストとして、人間として、自分が経験してきたことを次世代に伝えたい。

将来的には後進の育成にも力を入れていきたいと思っています。自分だけが歩んできた道があって、自分が考えてきたこと、経験したことを次の世代に伝え、生かすためにも大学で教えたいと考えています。18歳から30代ぐらいは一番人間が成長し、変わることができる年代だと思います。この時期に人間的な成長を目指すことによって、その後の人生は大きく変わる可能性がある。そういう大切な時期に、単にピアノをより上手く弾くことだけではなく、自分が経験してきた様々なことを伝えられたらと思います。

今後もドイツを拠点にしていくつもりですが、現状、多くのアジア人が世界で活躍しているしテクニック的にはすごく素晴らしい人が多いのですが、なぜか本当の芸術はわかってないように見られていると感じることもある。将来的に、例えばロシア人の若者がケンジに習いたいんだよ。と言って来てもらえるようになったら良いですね。

また、できれば日本の音楽での教育にも力を入れたいと思っています。音楽に限らず教育全般でも言えることではないかと思いますが、今の日本では自分の個性を生かしきれないシステムになっているように感じます。個人の感情を大事にする、と言ったことははあまり重視されないじゃないですか。だから音楽と向き合う時も、自分にしかないものを見つけられる自由がある場所や時間が必要だと思います。ピアノをやる上では、何時間も練習したから上手くなるかと言うとそうではないし、もっと大事なやるべきことはあると思うし。そういう考え方を持った自分に、日本でできることがあるのではないかなとは思うので、日本でもマスタークラスなどを集中的にやってみたいです。自然の中とかで一緒に生活する合宿のような…。ピアノのレッスンを受けに来るというよりも、視野を広げられるような機会や場所をつくり、そこで一緒に様々なことを探っていけたらいいなと思っています。いつか実現させます。

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